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美術、音楽、伝統芸能、サブカルと、アートに関する感想や妄想を書き連ねます

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TATUYA ISHII GROUND ANGEL 10th ANNIVERSARY EXHIBITION HEART GALLARY

TATUYA ISHII GROUND ANGEL 10th ANNIVERSARY EXHIBITION HEART GALLARY(@ヨコハマ創造都市センター/2011.12月)


はたしてこの作品群は「アート」なのか。ということを考えてしまった。いや、アートじゃないわけはないのだけど、そう云いきってしまうには少々居心地の悪さを感じてしまうのだ。

あまりにも口当たりがよすぎるのだ。ねらいがわかりやすすぎるのだ。そのような雰囲気をまとうオブジェはだから、“心地よさ”を示す『デザイン』なのではないか、と。
(ちなみにここでは「アート」と「デザイン」という言葉をそれなりに厳密な意味で使っています)

だから、石井竜也はアーティストではなくデザイナーとしての立ち居地なのではないか。などとも思ったりもするのだった。が、それは作者のバイオグラフィを知っているが故に、色眼鏡でみえてしまっているだけなのかもしれない。ポップスターの余技ではないはずなのに(もともとデザイナーだったことは脇においといて、だからお客側は勝手なもんだよね)。
本当はそういう修飾部分は、単純に作品を鑑賞する上ではまったく関係ないわけで、無心に観ればいいだけなんだよねぇ。

結局のところ、米米クラブのオールドファンとしては、ポップアイコンとしての『テッペーチャン』をいちアーティストとしてみることは意識としてなかなか難しいものなのだなぁ、ということなのだろう。

うーん、こういうことを書くとアート至上主義論者のようだけれど、自分自身はむしろサブカル擁護論者であり包括的アート推進論者なのだ。そういう自分の中のアンビバレンツに、ちょっと襟を正さないといけんなぁ、と思ったのだった。
  1. 2012/04/12(木) 21:18:11|
  2. 美術
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会田誠「美術であろうとなかろうと」

会田誠「美術であろうとなかろうと」(@ワンダーサイト本郷/2011.12月)


会田誠は、どうしてもいまひとつ好きになれない作家なのだが、しかし無視することもできず、いつも自分のアート好き人生の中でつきまとわれている感じがある(正しくは、自分が付きまとっている、のかもしれないけれど)。
同時代に生きる作家で、(一応)トップランナーのひとりであれば、否応もなく作品に出会う機会も多くなろうというもの。しかたがない。
もしかしたら同時代だから、というよりも同世代であるが故の同族嫌悪なのかもしれないなぁ、と思っているところもあるのだけれど。

さて。

今回の企画は一応、これまでの画業(?)振り返る、という設定はあるようで。
学生の頃の作品はけっこう真っ当で、今のように確信犯的愉快犯ではないのが意外(?)。若さ故のやんちゃ、ではないのだなぁ。基礎をきちんと学んでいる学生感があって、とても面白かった。露悪的なアーティストというのはここ最近のキャラクターらしい。

今回の企画のメイン(?)のダンボール戦記、じゃなくてダンボール壁画は、一転して会田誠らしい悪意が前面に押し出されたインスタレーションだった。
アートに対する悪意。歴史的伝統に対する悪意。いや「悪意」というよりも「茶化し」という言葉のほうが正しいか。フェイクであることを「これはフェイクです」と宣言しながらやっているということは、アートに対する冒涜とは思わないけれど、なんかおかしなゆがみを感じてしまうのだ。
(この違和感はVOWを読んだときにも感じる。なんだろう、斜に構えてにやりとしているような態度が、現代の空気感にあってないと思っているのだけれど)
もっとも、今回のダンボールは、いつもの作品のスタンスに比較すればさほどに露骨ではなく、ファインアートとして成立しないでもない程度のインスタレーション(というよりも本当はむしろテロルなのかもしれないけれど)で、自分的にはまあ楽しかったかな。

ともあれ。まあ。相変わらず、人の(というか自分の)神経を逆なでする作家だなぁ。
  1. 2012/04/12(木) 21:17:31|
  2. 美術
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モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―

モダン・アート,アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―(@国立新美術館/2011.12月)


知っているようで知らない(少なくとも自分は)アメリカの近代美術史を、フィリップス・コレクションから紐解くという企画。

非常にざっくりまとめてしまうと、19世紀の美術の中心はやはりフランスであった。そしてフランスで起こった様々なムーブメントが、世界中に伝播していった。それはアメリカも例外ではなかった。そういうことを再認識させてくれた企画だった。

印象派からポスト印象派、キュビズム、抽象。と、まさに西洋美術近代史をなぞっているのが判る。

面白いのは20世紀以降で、ここらあたりからアメリカは独自の展開を繰り広げはじめている。それは近代から現代へと絵画の潮流の変化の時期でもあり、それはアートの中心地が移っていく時期でもあり、そしてさらに社会的状況が背景にあるのだけれど(うる覚えですが)、それらはこの展覧会に関しては余談かもしれない。
いずれにせよ、近代絵画というジャンル(あるいは年代)を視点軸に持って美術をみるのも面白いなぁ、ということである。


アメリカの美術に対するイメージに関して自分は、現在のとがった面も持ちつつ、しかし根底にあるのは基本的にはノーマン・ロックウェルのようなフォークアートなのだろうと思っていたのだけれど、今回の企画ではそれが再認識できた気がした。
アメリカという国の、保守的な国民性がありつつ、しかし革新的なフックが点在するという、アンビバレンツな部分がここにも現れているように思う。


そんなこんなの企画ではあるが、全体としてはかなり地味めではあった。まあ、そういう企画もまたよし。
  1. 2012/03/19(月) 18:25:45|
  2. 美術
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モテキ

モテキ(@監督:大根仁/2011.11月)


いやぁ、面白かった! TVシリーズは観ていなかったし、そもそも原作も読んでいなかったので、「モテキ」というドラマについては今回が初見。だから、より純粋に楽しめたのかもしれない。

一応、話はとりあえず知ってはいたけれど、こういうテイストのこういう話だとは思わなかったなぁ。

冒頭のモテ神輿の必要以上のテンションっぷりにまんまとヤラレて、(いい意味で)ばかばかしい話の中に引き込まれて後はズルズルと、ね。

ハイテンションな演出の上手さについては、あまりクドクドとは書かない。お見事、とだけ云っておきたい。


さて、結局、この映画は『ボーイミーツガール』なのである。

お互い、身の丈を知らず、いつの間にか背伸びをしていて、それが足かせになって、本当の幸せというか、ベターハーフとは誰なのかというか、つまりは自分にとって(もちろん相手にとっても)もっとも相応しい人。という事に気づいて、そしてオトナになる。

端的に云って、モラトリアムからの卒業の話なわけだ。
なんともまあ、甘じょっぱい話であることか。そして眩しすぎるよ、あんたたち眩しすぎて見えないよ。


長澤まさみがすごい。ということはまあいろいろなところで書かれていたが、確かに凄かったんだけれど、「体当たりの演技」とか「色っぽい」とか、まあスポーツ新聞的な表層的な感想は、そりゃ違うだろ、と。浅い見かただな、と。そう思った。なにが凄いって、揺れ動く心情の演技でしょ。観ていて本当に身につまされちゃったよ。

でも、そんな感想を思うってことは結局のところ、観る者が封印していた黒歴史を思い出させて、ルサンチマン大爆発、だからでもあるんだよなぁ。それは懐かしい記憶ではあるのだけれど、お願い想い出させないでぇ〜、という部分でもあるだろう(いや、あるんです)。

というわけで、この映画は誰かと観にいっちゃダメな映画なんだろうな。
  1. 2012/03/19(月) 18:24:20|
  2. 映画
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『コミPo!』製作者にウラ話を聞いちゃおう!

誰でもポッとマンガがつくれちゃうソフト『コミPo!』製作者にウラ話を聞いちゃおう!(@新宿ロフトプラスワン/2011.03月)


『コミPO!』というマンガ作成ツールについて、その技術的側面や開発裏話、活用テクニックと、多方面からのアプローチによるトークイベントであった。

というわけで、一応はデジタルツール、デジタルソフトに関する内容なのではあるけれど、しかしその機能や設計思想をつきつめていくと、それは結局のところ、「マンガ」という絵画(作品)であり記号(情報)であるというユニークなメディアの構造論にもなっていた。

コミPO!というツールは、これまで、すべて自ら描くしかなかったマンガの描画(及びデザイン)という部分をシステムに委ねることで、絵の上手さ下手さという器用さのスキルから開放される、という点において革新的である。

もちろん、定式化されたパーツだけでマンガが描けるわけではなく、レイアウトや構図のセンスであったり、ストーリーテリングであったりと、まだまだ個々のスキルが重要な要素もあって、このツールによってマンガ制作が自動化するわけでも、できるものでもないのだけれど、アイディア等を形にするためのボトムラインは確実に高くなっているだろう。

このような技術が表現を底上げしていく動きは、ボーカロイドの『歌声を楽器化していく』ことで、楽曲製作をボーカリストからソングライターへと還元していく構造にどこか似ているように思う。

技術の進化によるパラダイムシフトの例は多いが、サブカル方面ではボカロとコミPo!の2例が顕著だなぁ。本当に技術が表現に与える影響の大きさを実感した。


これ以外にも興味深いテーマが飛び交い(例えば、キャラクターの絵柄としての意味論や、風化しない絵柄に関する仮説など)実に面白かった。

自分としては単なるツールとして便利に活用されるだけではなく、ソフトウェアとしての進化にあわせて、おそらくは当然のように考察されていくであろう「『絵』という記号におけるマンガの構造分析」がすすんでいくことにものすごく期待している。
  1. 2012/03/19(月) 18:22:20|
  2. サブカル
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Author:つぶやき艦長
1960年代生まれのおっさん。生物学(感覚生理)を学んだくせに目下超文系仕事。脳内分割するとアート関係60%、ゲーム関係20%、旅10%、煩悩10%、ロスタイムで仕事をやっつけております。趣味を仕事化するのが現在の目標なり。

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